境内は薄暗く、物寂しい風情が漂う
安養寺跡の林と城址の山 一枝城址を望む
垣屋集落を貫流する宮田川の西方山麓に鎮座し、祭神は応神天皇と市寸島比売命である。境内の案内板によれば、建久元年(1197)、平家方の武士として一の谷で戦い敗れた波々伯部孫四郎は、落武者となって逃れる途中に石清水八幡に詣でて無事を祈った。そのおかげを受けて命を永らえ、この地に来て一社を創建したのが始まりだという。
建武の争乱のとき、足利尊氏に味方して活躍した丹波武士の一人に宮田荘の波々伯部為光がいた。為光は戦功によって波々伯部保を賜り、子孫は淀山城を築いて戦国末期まで勢力を保った。波々伯部孫四郎はその一族の一人と思われ、垣屋界隈には一枝城、西ヶ谷城が残されている。また、八幡神社の並びに波々伯部氏の菩提寺であった安養寺跡があり、波々伯部氏のものという複数の五輪塔や宝篋印塔も残っている。おそらく、八幡神社は波々伯部氏が武神として祀ったものと思われ、一の谷合戦のことは後世の付会ではなかろうか。
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