篠山の歴史・見処を訪ねる-犬飼


大歳神社





樹高20mというムクノキ


拝殿から本殿を見る

神社は国道176号線のすぐ東側にあり、境内には「犬飼のムクノキ」として有名な椋の木がある。社伝によれば、そもそもは向井山に鎮座していた大歳神社を、大宝のはじめ(701年ごろ)に深間田の坪に遷座したものという。祭神は大年神、若年神、崇徳天皇、金山彦(日古)命、そして猿田彦命である。「年」は稲の実りのことで、主祭神の「大年(歳)神」は農作を守護する神であった。農作は一年を通じて行われることから、一年を守護する神、さらに田の神も祖霊も山から降りてくるという信仰から、家を守護する祖霊が同一化され神格化されたものと考えられている。また、大歳神社のある犬飼の地名は、神社にちなむ伝説から起こったものと伝えられている。
大化年間(646年頃)のころより、氏子の中から一年に五〜七人の死者が出たため、神の禍と考えた村人は人身御供をあげるようになった。人身御供はくじ引きで氏子の中から選ばれたが、ある年のくじ引きに当たった村人は一心に神にすがって三七日の祈祷をした。すると夢の中に童子が現れ「江州犬上郡の多賀明神(多賀大社)に鎮平犬あり。借りてきて、例祭の時に身代わりとして器に入れておけ」というお告げがあった。村人は早速、江州多賀明神に参拝すると、お告げの通りの犬がいた。喜んで村に連れ帰り祭礼の日に身代わりとして御供にあげたところ、見事に禍のもとであった怪物を退治することができた。大手柄の鎮平犬は村で大切に飼われ、村の名も「犬飼」と呼ばれるようになったという。
近江国湖東に位置する犬上郡は日本武尊の子孫を称する古代豪族犬上氏が居住し、郡内多賀町にある多賀大社は犬上氏が大神主、日向神主として祭祀を行ってきた。 また、多賀三社まいりの一社である大滝神社本殿の右隣には犬上神社が祀られ、祭神は犬上氏の祖という稲依別王命で、犬上郡の地名はこの王の飼い犬小石丸の忠節から生まれたと伝えられている。 鎮平犬の伝説は、近江犬上氏系の人々が丹波に入植して来たことを物語ったものと思われ、大歳神社は近江と丹波を結ぶ記念碑的側面を 秘めているのかもしれない。
ところで、176号線の拡幅工事によって境内の西側が削られたため、参道、狛犬、鳥居が新調され、 かつての古式然とした雰囲気は失われてしまった。訪問した日は新調を祝う祭礼が行われており、プロと見受けられる人たちによって 神楽が奉納されていた。本来の祭礼は毎年、十二月の一番早い申(さる)と戌(いぬ)の日に行われるそうで、戌の日には餅撒きがあり、 その餅を食べるとお産が軽くなるといわれている。

写真:達者な身振り手振りの奉納神事が行われていた