天田郡から多紀郡にかけて、いくつかの梅田神社が鎮座している。そもそもは、
天田郡細見庄中出村(三和町中出)に鎮座する中出、辻、中嶋、西谷の四ケ村の産土神で、
中世、草山一帯に勢力をもっていた細見氏の祖先紀忠通を祀る梅田神社があった。
この梅田神社をを本社として分霊した莵原下の梅田神社、高杉と友淵の春日神社、
多紀郡の草山(本郷)と藤坂の春日神社、小原の梅田神社を総称して梅田七社という。
これは、古代豪族紀氏が天田郡から多紀郡へと民俗移動した名残を示すものであり、
本郷には紀姓細見氏の城址も残っている。
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中出・梅田神社
社殿は本殿と春日社・西宮社の三社が同一の覆屋内にある形式で、
江戸時代の貞享五年(1688)に再建されたもの。
三社とも京都府登録文化財となり、境内地も文化財環境保全地区に指定されている。
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莵原下・梅田神社
友淵川を眼前に見て鎮座、朱塗りの鳥居と覆い屋が印象的。
かつての祭礼においては、梅田七社の御輿が集まったという。
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高杉・春日神社
大永五年(1522)本殿再建に関わる棟札が伝来、棟札としては三和町内に残る最古のもので市指定
文化財。棟札に出てくる紀山城守家成は細見谷に勢力をもった細見氏である。境内の南天は夜尿封じに験があるという。
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友淵・春日神社
朱の鳥居を潜ってすぐに見える自然の枯山水のような木の根、覆い屋の柱の曲がり具合が面白い。
本殿裏の磐座と思われる大岩が印象的。
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草山(本郷)・春日神社
社伝によれば、仁安元年(1166)、細見谷より本郷に進出した細見氏が現在地に勧請したのが始まりで、
はじめは梅の宮といい、中古に梅田春日を称するようになったのだという。
祭神は八意(やごころ)思兼神・事代主神・紀貫之神。
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藤坂・春日神社
至徳二年(1385)に創建されたと伝え、はじめは梅田大明神と称していた。
至徳八年、新田義貞の弟脇屋義助の子で藤白城主になった尾張守義治が社殿を寄進したという。
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小原・梅田神社
全体に寂び寂びとした雰囲気が漂い、水枯れした御手洗場もなにやら侘しさが・・・。
本殿背後屹立している磐座であろう大岩が厳粛な気分をかきたてる。
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