七日間、もしくは七回参ると霊験あらたかという
和田寺本堂に向かう参道の傍らにあり、むかしより頭痛に霊験あり、悩みの解決も導いてくださることから、頭痛地蔵と呼ばれて親しまれている。波豆の石工により造立された地蔵板碑で、文和四年(1355)の紀年銘をもち、地蔵板碑としては県下最古のもの。和田寺の前身である東光寺の数少ない資料でもあり、平成九年に兵庫県より重要有形文化財の指定を受けた。
ところで、波豆とは現在の宝塚市西谷地区にあった村で、中世には産出される流紋岩(波豆石)と腕のいい石工集団の存在で知られ、五輪塔や石鳥居など石造美術の宝庫でもある。しかし、明治末期に千刈貯水池の建設が計画され、波豆村民らは工事に反対したが、陳情も空しく昭和六年(1931)に工事完了、波豆村のうち二十二戸が水没した。この頭痛地蔵は、波豆の石造文化圏の西北限の遺品としても貴重なものといえよう。
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