篠山の歴史・見処を訪ねる-鐘ヶ坂


鐘ヶ坂トンネル



鬼の架橋から鐘ケ坂を見る


篠山市方面から丹波市方面へ(左から明治トンネル・昭和トンネル・平成トンネル)


丹波市から篠山市方面へ

鐘ヶ坂は篠山市(旧多紀郡)から丹波市(旧氷上郡)へ要衝の越える地で、明治、昭和、平成と建設時期の異なる三つのトンネルが通じている。かつては交通の難所として知られ、通行や物資の輸送には困難を極めていた。とはいえ、戦国時代に鐘ヶ坂を見下ろす金山に明智光秀が城を築いていること、安藤広重が「六十余州名所図絵」に「丹波鐘坂」として描いていることなどから、鐘ヶ坂は多紀から氷上へ抜ける道として往来する人は少なくなかったことが知られる。
明治十二年(1812)、丹波地域の交通の発展と産業の振興のため、当時の多紀郡長園田多祐氏と氷上郡長田艇吉氏が発起人となって鐘ヶ坂隧道工事の義願書が兵庫県に提出された。翌年、許可をえると両郡内からは多くの支援・工事費用の寄付金を受け、工事は明治十六年に完成をみた。総延長268m、幅員3m、約28万枚の煉瓦が使用されたといわれる。道路トンネルとしては全国で五番目に古く、現存する煉瓦積み工法のトンネルでは国内最古のものである。
第二次大戦後、自動車時代を迎えると、新たなトンネルが望まれるようになった。そして、昭和四十年(1965)に着工、二年後に総延長455m、幅員7.5mの昭和トンネルが完成した。しかし、交通量の増加で事故も多発、落石や冬季の凍結などによる交通規制も多く、交通の難所であることに変わりはなかった。そこで、新たなトンネル工事が計画され、平成十三年((2001)に着工、平成十七年に完成したのが平成トンネルである。総延長2,650m、トンネル部の延長1.12mという規模で、カーブも少なく篠山市と丹波市を結ぶ大動脈として機能している。
かくして、明治のトンネルは地図上からも消え去り、昭和のトンネルは通る車もなく、かつて花見の名所として賑わった丹波市側にあった鐘ヶ坂公園も荒廃の色を深めつつ静かな時間を刻み続けている。現在、明治のトンネルは立ち入り禁止になっているが、昭和のトンネルは通行可能であり、興味のある方はゆっくり車を走らせてみるのも一興かも。

写真:トンネル内から丹波市方面を見る