篠山の歴史・見処を訪ねる-本郷


春日神社





秋の祭礼には見事な山車が宮入する。


衣装と子供たちの所作が可愛い「春日踊り」 境内一角の子八幡宮(右)

春日神社といえば藤原氏の氏神だが、ここ本郷の春日神社は古代豪族紀氏に関わる神社である。 祭神は八意(やごころ)思兼神・事代主神・紀貫之神で、藤原氏の祖神である天児屋命が祀られていないことからも 春日神社という社名には違和感が残る。そもそもは細見谷の中出、辻、中嶋、西谷の四ケ村の産土神で、 天田郡細見庄中出村(三和町中出)に鎮座する細見氏の祖先紀忠通を祀る梅田神社が分祀されたものである。 いまの本殿は弘化元年(1844)に再建されたものだが、覆屋に隠されて全体を見ることはかなわない。また、本殿横に祀られた 子八幡宮は、もとは武神として細見氏の居城であった本郷城下(松隣寺のところ)に鎮座していたものを移したものである。
社伝によれば、仁安元年(1166)、細見谷より本郷に進出した細見氏が現在地に勧請したのが始まりで、 はじめは梅の宮といい、中古に梅田春日を称するようになったのだという。大永五年(1522)の本殿再建に関わる 棟札に出てくる紀氏は、当時、本郷一帯を支配していた細見氏にほかならない。本社と三和町中出の梅田神社、 莵原下の梅田神社、高杉・友淵の春日神社、多紀郡の藤坂・小原の梅田神社を総称して梅田七社といわれる。
秋の例祭に奉納される「春日踊り」は、大人が奏でる口上と囃子に合わせて氏子の子ども達が踊るというもので、 なかなかかわいらしいものだ。江戸時代中期頃に始まったといい、後世に伝える郷土芸能として 市の無形民族文化財に指定されている。

写真:三和町中出の梅田神社の本殿