篠山の歴史・見処を訪ねる-北


太平山龍蔵寺





かつての栄華をわずかに伝える境内


仙人が修行されたという忍の滝・愛宕堂に続く道の傍らには往時の石垣が・境内の一角に生育する百日紅の古木

大化年間(645)、法道仙人によって開かれたと伝えられる天台宗の古刹で、丹波古刹十五ヶ寺霊場第一番である。縁起によれば「仙人が山中の忍の滝で修行せられていた時に、倶哩伽羅、大竜王が顕現し竜珠を示し『これは是れ仏法弘通の重宝万民快楽の妙珍なり。この山に永く蔵して鎮護国家の霊場とせよ』と言い姿を消した」ことから、龍蔵寺の寺名が生まれたという。
平安時代より修験道の行場として栄え最盛期には七十二坊を連ね、高仙寺、文保寺と並んで多紀三山の一つに数えられた。しかし、明治以降衰退し、今は鐘楼と観音堂が残るばかりとなっている。とはいえ、山中を歩くとかつての堂宇の石垣がのこり、千手千眼観音を本尊に、薬師如来、阿弥陀如来、不動尊、毘沙門天、歓喜天、勝軍地蔵、子育地蔵、蔵王尊、文殊菩薩、大黒天、弁財天等多くの仏像が祀られ、往時の繁栄のほどが実感される。また、境内の一角に京大地震観測所があり、丹波・但馬・丹後の地盤が観測されている。