篠山の歴史・見処を訪ねる-北


東護山医王寺





仔細に見るとラッパ状の葉が確認できる  空掘り跡と思われる溝跡


並び立つ銀杏と杉  ラッパ状の葉

篠山城址の東濠を南下すると、篠山川に架かったデカンショ踊りの像が舞う監物橋がある。監物橋を渡った右手方向の北集落内ににある曹洞宗の寺院で、応永年間(13941428)、洞光寺二世澄昭良源和尚によって開創された。本尊は薬師瑠璃光如来で、野中荘の土豪酒井権左衛門が寄進したものと伝えられている。この薬師さんは子授けと安産、それに授乳などに霊験があるとして衆生の崇敬を集めた。一方、権現堂に祀られた「銅造りの蔵王権現立像」は、「雨乞いの霊験とマムシ除け」の神として信仰をあつめ、もとは多紀アルプスの主峰御嶽にあったものと伝えられている。鎌倉時代に鋳造された像で、昭和六十二年に県重要文化財に指定された。
小さな山門を入ると杉と銀杏の大木が並び立っている。銀杏は樹高20メートル、樹齢300年と推定される雌木である。普通の葉に交じってラッパ(ロート)状の葉がつくことから、「医王寺のラッパイチョウ」と呼ばれて有名なものだ。ラッパ葉は銀杏の原始葉で、茎が葉に変化する途中の形を残した葉で、植物の変化の過程を示すものといわれる。ラッパ葉をもった銀杏は稀にあらわれるが、医王寺のものはその出現率が10〜20%ととくに高い。さらに葉の上にギンナンが実るオハツキ葉、逆さになった傘状ラッパ葉なども見られるなど植物学的に大変貴重なものとして、県の天然記念物に指定されている。
医王寺の立つ地は、かつて八上城主波多野氏の被官であった渋谷監物(酒井監物とも)の館跡といい、監物橋の名はそれにちなんだものという。戦国時代、渋谷氏らの庇護でおおいに栄えたらしいが、天正の明智光秀の八上城攻めによる兵火で被災、江戸時代から明治までは医王庵と称されて細々と存続したようだ。境内の墓地には、中世以来、医王寺の歴史にあらわれる酒井家、渋谷家の後裔の家のものかと思われる墓石が並び立っている。まことに小さな寺だが、貴重な文化財・記念物が伝来し、中世丹波を生きた家々の歴史の流れが感じられるところだ。
監物橋から見た八上城