神社を思わせる破風が素晴らしい三尾寺本堂 赤井刑部大輔幸家の墓石
山門脇に鎮座する二ノ宮神社 二ノ宮神社の風変わりな拝石
大化年間(645-50)、法道仙人によって創建されたという多紀郡に多い山岳修験道系寺院の一。平安時代はじめの大同三年(808)、天台宗の開祖伝教大師により中興されたと伝えられる。文治四年(1188)、焼失してのち長く衰微していたが、戦国時代に至り三尾山城主赤井幸家によって再建された。
幸家は氷上郡黒井城主赤井直正の弟で、兄を助けて赤井氏の勢力伸張に活躍した武将である。明智光秀の丹波攻めの最中に直正が病死したあと、甥の直義を後見して黒井城を固め、織田軍と対峙した。天正七年(1579)、明智軍の攻撃によって三尾城は落ち、黒井城も落城、赤井一族は四散した。観音信仰の厚かった幸家は弘誓寺に隠遁し、ふたたび世に出ることはなく生涯を終えた。いまも、弘誓寺には幸家が寄進したという涅槃図、城中で祀っていたという大日如来座像が伝存し、境内の墓地の一角に幸家の墓碑が残されている。
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