秋の祭礼で賑わう
樹齢千年といわれる垂乳根の公孫樹は、素晴らしい大きさだ。
むかし、四道将軍の一人丹波道主命がこの地に野陣をはり賊徒と戦ったとき、突如現れた白髪の翁に玉剣を授けられ、その加護により戦いに勝利を得た。そして、勅命によりここに宮地を営んだのが縁起と伝えられる。実際のところは、朝廷に神盾を奉仕した斎部の盾縫氏が祖神を祀ったことが始まりであり、「多々奴比(たたぬい)」は「盾縫(たてぬい)」がなまったものに他ならない。天智天皇の二年九月九日に祭礼を執り行ったのが祭礼の始めで、氏子中二十社の総社で一宮ともよばれる。現在、祭神は天照皇大御神・建速素箋鳴命となっている。
境内には正暦元年(990)、大江山の鬼退治に向かう途中の源頼光が立ち寄り太刀を奉納して必勝祈願したとき、頼光が駒を繋いだという樫の老木。樹齢千年といわれる垂乳根の公孫樹が聳え立つなど、多々奴比神社の歴史の古さを感じさせている。また、境内へ通じる道をふさいで通る舞鶴自動車道の下には、工事のときに破壊され。改めて組みなおされたのであろうと思われる古墳が残っている。
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