篠山の歴史・見処を訪ねる-栗柄


栗柄不動





大護摩焚き  お稲荷さんの可愛い鈴  竜女が用いたという「蛇の枕」


観音堂の裏を流れる杉ヶ谷川は不動の滝を経て日本海へ 【右写真:観音堂】

栗柄不動のある栗柄は、篠山から本郷に通じる県道の途中にあり、篠山市内で最も高い位置にあるところで春日町への分岐点でもある。栗柄の地には全国的にも珍しい二つの谷中分水界があり、ひとつは鼓峠、もうひとつが栗柄不動のそばに落ちる不動の滝である。鼓峠に発して栗柄集落内を流れる宮田川は、篠山川から加古川に合流して瀬戸内海に注ぎ込むが、高王山観音堂のうらを流れる杉ヶ谷川は宮田川に合流することなく不動の滝となり、竹田川に注いで遠く日本海へと流れていく。栗柄不動は「倶利伽藍明王」ともいわれ、栗柄の地名はこれより生まれたという。 栗柄不動は北向きに祀られていることから、俗に「腹痛なおしの北向不動尊」として多くの尊信を受けている。
中世、多紀連山(三岳)は修験道の山として知られたところで、盛時は多くの山伏(修験者)が修行に励んだと伝えられている。三岳の修験道は筱見の四十八滝での水垢離をスタートとして多紀連山のあちこちに散在する行場をめぐり、三岳で本行を終えたものは三岳山養福寺で勤行したのち不動の滝で水垢離したのち倶利伽藍不動明王に参拝して全行がなった。むかし、ここの滝壺に住む龍女を福徳貴寺の祐盛法印が有難い経文によって成仏させたことにちなんで建立されたといい、護摩焚き場の一角に「蛇の枕」という丸い石が祀ってある。また、龍女が祐盛に感謝して残したという三枚の鱗が、いまも福徳貴寺に寺宝として伝わっているそうだ。龍女との関係からだろう栗柄不動は福徳貴寺の奥の院として位置づけられていた、往古は栗柄より氷上郡に通じる道はなく昼なお暗い幽邃の地であった。いまは、養福寺も観音堂が残るばかりとなり、 滝のすぐ上に通じた道を車が往来しているが、栗柄不動を祀る不動の滝一帯は神秘的な空気が漂っているところだ。
毎年、正月の三日に行われる「大護摩焚き」は、かつての三岳修験道の修行を彷彿とさせる祭りである。祭りの次第は不動の滝での祈祷、点火前のさまざまな儀式、そして、広場の中央に拵えられた護摩への点火と続く。火の点いた護摩からは白い煙がモクモクと湧き立ち、やがて一筋の炎となる。その間、丹波修験者の方々の読経の声が響き渡り、なんともいえない荘厳な空気が漲ってくる。火勢がおさまると、火渡りの準備がなされ、修験者の方が渡られたのち、参拝者の方々が一年の息災を願って次々と渡られる。宗教色の濃いものだが、素朴で雄渾!素晴らしい祭りである!戦前は大変な盛況であったというが、いまは知る人ぞ知る祭りになってしまっているようで惜しまれる。 「大護摩焚き」は午前九時よりスタート、興味のある方はお見逃しなく!

・2008-06/01 → 2010-01/01・03