低山歩こう記-曽地中・畑市


弥十郎ヶ岳に登る

・2009年10月10日



曽地方面から弥十郎ヶ岳を見る
 
 
丹波篠山は周囲を山々に囲まれた盆地だが、その南東に屹立するのが弥十郎ヶ岳で標高 715m、多紀アルプスの三嶽・小金ヶ嶽に次ぐ高山である。人名の付いた山としては信州の「野口五郎岳」が有名だが、兵庫県内では三田の甚五郎山とこの弥十郎ヶ岳だけではないだろうか。その由来は、山腹にある洞穴に住んでいたという山窩にちなむとか、 あるいは弥十郎ヶ岳南方にある八上(やじょう)が訛ったものとかいわれている。
弥十郎ヶ嶽への登山は、北から「薬師ヶ原キャンプ場コース」、南から「竹谷コース」「篭坊温泉コース」「農文塾コース」がポピュラーなコースとして整備されている。加えて、 西方を走る県道12号線の曽地から四十九院跡を登るコースがある。



弥十郎ヶ岳へ:0909 → 四十九院址の石垣 → 其処彼処に寺院址 → 古びた標識 → 吹越峠の弓張り道、薬師ヶ原コースと合流:0959

四十九院跡のコースはかつて多くの僧坊が並んだところで、いまも登山道の両側には階段状の削平地や石垣が累々と残っている。戦国時代、波多野氏に味方して兵糧などを八上城へと運び上げたことから、明智光秀の焼き討ちにあって壊滅した。寺院址は植林され、 昼なお暗い雰囲気が殺伐とした歴史を語っているかのようだ。 四十九院跡を登り続けると、薬師ヶ原からのコースと合流する吹越峠に達し、 弓張りと呼ばれる細い尾根道を過ぎ整備された山道を山上へとひた歩く。

・歩こう - 参考マップ



道は分かりやすい → 谷川のような道を登る → 標識を確認 → ロープで攀じ登る → 滝を見下ろす:1023

やがて、谷筋に出会うと道はゴルジェとなりロープを掴んでを攀じ登るところもある。岩場となった登山道を、 小さな滝をながめつつ登っていくと、山名の由来になった山窩が住んでいたという洞穴があらわれる。間口は5メートル、奥行きは10メートルくらいで、 平なところもあり、なるほど人が住んでいたようにも見える。



弥十郎がいたという岩穴 → 畑市との分岐 → 竪堀のような道 → 登ると標識:1121 → 土橋のような道



堀切状の道 → 頂上は間もなく:1046 → 頂上が見えた ・山頂に到着:1049 ・意外に広い山頂

洞穴をあとにして、さらに登っていくと、畑市との分岐があらわれ山腹の道を登り続ける。やがて、道は堀切状となり、畑市からまがり谷を登って来た道と合流、細尾根を右方向に登っていけばそのまま頂上へとたどり着く。頂上は意外と広く、篠山市の立てた弥十郎ヶ岳の標識、二等三角点が出迎えてくれる。頂上からの展望は抜群で、多紀アルプスの三嶽・西ヶ嶽・小金ヶ嶽が眼前に聳え立ち、西光寺山・白髪岳・松尾山、 夏栗山・黒頭峰など篠山盆地を囲む山々が一望できる素晴らしいものだ。



二等三角点 → 多紀アルプスを遠望 → トリカブトの花 ・火ともし山(平内丸)から雲部を見る:1215 ・山麓の観音堂と石仏:1502

弥十郎ヶ嶽北峰から西方に伸びる尾根にある火とぼし山は中世・戦国時代の山城跡で、弥十郎ヶ岳北方一帯に勢力を張った波々伯部一族の平内が拠った城で平内丸ともいわれる。城址は雑木に覆われているが、木の間越しに北方は細工所から雲部を、西方には波多野氏の主城である八上城が遠望できる。城としての造作は臨時的なもので、 火とぼし山の地名が語るように狼煙をあげるところとして機能したものと思われる。
火とぼし山からは西方の急斜面を下って薬師ヶ原コースと合流、 車で来ていたこともあって吹越峠より四十九院跡を引き返した。 弥十郎ヶ岳への登山は、不便ではあるが公共機関を利用した歩きの方が自由度があってよさそうだ。 今回は四十九院跡からのコースを登ったが、薬師ヶ原・籠坊温泉からのコースを季節を変えて登ってみたい山である。

【登山メモ】 曽地スタート:0905 → 四十九院探索:30分 → 頂上:30分 → 平内丸探索(昼食):70分

【お奨めリンク: 弥十郎ヶ岳について飛曽山から弥十郎ヶ岳へ