低山歩こう記-今田本荘


西光寺山に登る

・2009年08月19日



本荘住吉神社境内から見た西光寺山(右手の高い山)



西光寺池:0857 → 要所に標識 → 鷺草の群落を見る → 寺址との分岐点の東屋:0916  → 見事な色の赤とんぼ



谷川を渡る → 炭焼き小屋の址?:0932 →  標識をみながらひたすら登 → 尾根に出た:1014 → 岩場を越えて山頂へ

かつて、金鶏山西光寺があった西光寺山は、修験道の山として修験者が往来するところであったという。いまは、 都市近郊の手軽に登れる山として人気のスポットとなっている。登山口は、篠山市の 今田側と西脇市の中畑側より整備された登山道が山頂まで続いている。今田方面からの登山道の途中には鷺草の自生群落 があり、おりから見頃を迎えた可憐な鷺草の花を見学し、 西光寺址の山門があったという分岐点に設けられた東屋を横目に頂上を目指す。谷川を渡り、 炭焼き小屋を越えたあたりから、葛篭折れの急坂が尾根筋まで途切れることなく続く。「六根清浄」などと 修験者のような掛け声をかけながら、ひたすら登り続けることになる。


・歩こう - 参考マップ




頂上に祀られた祠:1018 → 今田方面を展望 →  西光寺址:1130 → 礎石が点在している → 往時の石垣址か?

頂上でお握りを頬張り、しばし休憩したのち、眼下に広がる一大パノラマ風景を堪能する。登りの疲れも一気に 吹き飛び、消費され尽くしていたエネルギーが充填されてくるのが分かる。下りは大洞山のコースを辿り、 西光寺址経由で分岐点の東屋へと下りて行った。寺址にはかつての礎石、石垣が散在し、 庭園跡を思わせる地形、水飲み場、寺屋敷跡など、 かつて四十八坊あったという金鶏山西光寺の繁栄を偲ばせるに十分な削平地群が広がっている。


井戸址らしき遺構 → 門の跡と思しき石垣:1148 →  修験の山らしく大岩が散在 → 枯れ場と化した下り斜面 → なんとか東屋に帰着:1243


平安時代、多紀郡一帯は天台宗に教化されて、西光寺は天台密教の聖地となった。十二世紀のはじめには 都の貴族達により大般若経写経六百巻が奉納されるなど、寺勢は盛んであった。ところが、源平時代の 寿永三年(1184)、三草合戦で敗れた平家の一隊が西光寺に逃げ込み、源義経軍と干戈を交えた。 ふたたび敗れた平家は、西光寺に火を放つとことごとく討死したという。その後、西光寺は復興されたが 応仁の乱の戦火に遭って焼亡、三度復興されたが戦国時代に松永久秀の攻撃を受けてまたもや焼失、寺勢は 衰えてしまった。度重なる戦火を潜り抜けた大般若経六百巻のうち、 本荘住吉神社に配分された二百巻が現存している。
金鶏山西光寺には「金の鶏」の伝説があり、山号はそれにちなんだものである。 新緑、紅葉を楽しみながらの山登り、鷺草自生地の見学、歴史と伝説の探索などなど、 マルチな面白さに溢れた山、それが西光山である。今回はじめて登ってみて、炭焼き小屋コースは急坂ではあったが 登山道は明確で迷うことなく頂上にたどり着けた。しかし、寺址経由の下山は、寺址附近の複雑な地形と雨などによって 枯れ場と化してしまった下り斜面では道を見失いそうになった。寺屋敷方面から登る場合、枯れ場のところはほとんど 道のない状態となっているので、十分な注意を払いながら登ってほしい。自治体の方、寺屋敷方面のコースも 登り道の要所に標識の設置をお願いできないものだろうか。

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