平安時代、多紀郡一帯は天台宗に教化されて、西光寺は天台密教の聖地となった。十二世紀のはじめには
都の貴族達により大般若経写経六百巻が奉納されるなど、寺勢は盛んであった。ところが、源平時代の
寿永三年(1184)、三草合戦で敗れた平家の一隊が西光寺に逃げ込み、源義経軍と干戈を交えた。
ふたたび敗れた平家は、西光寺に火を放つとことごとく討死したという。その後、西光寺は復興されたが
応仁の乱の戦火に遭って焼亡、三度復興されたが戦国時代に松永久秀の攻撃を受けてまたもや焼失、寺勢は
衰えてしまった。度重なる戦火を潜り抜けた大般若経六百巻のうち、
本荘住吉神社に配分された二百巻が現存している。
金鶏山西光寺には「金の鶏」の伝説があり、山号はそれにちなんだものである。
新緑、紅葉を楽しみながらの山登り、鷺草自生地の見学、歴史と伝説の探索などなど、
マルチな面白さに溢れた山、それが西光山である。今回はじめて登ってみて、炭焼き小屋コースは急坂ではあったが
登山道は明確で迷うことなく頂上にたどり着けた。しかし、寺址経由の下山は、寺址附近の複雑な地形と雨などによって
枯れ場と化してしまった下り斜面では道を見失いそうになった。寺屋敷方面から登る場合、枯れ場のところはほとんど
道のない状態となっているので、十分な注意を払いながら登ってほしい。自治体の方、寺屋敷方面のコースも
登り道の要所に標識の設置をお願いできないものだろうか。
|