篠山の歴史・見処を訪ねる-85


小田中清五郎稲荷神社と稲荷山古墳





稲荷神社ながら、本殿の幕紋は「三つ巴」であった


本殿の正面に清五郎らを描いた奉納額があげられている

江戸時代後期の文政年間(1818〜30)、毎年、将軍上覧の大相撲が催され、各大名はそれぞれお抱え力士を出場させた。ときの篠山藩主青山忠裕は幕府老中をつとめ、お抱え力士を出場させたが負けてばかりで幕府要職者として面目にかかわることであった。そんなある年のこと、上覧大相撲の最中、篠山から参りましたと、小田中清五郎ら8名の力士が現れ、全員が勝ち続けた。おおいに面目をほどこした忠裕は褒美を与えようとしたが、いつの間にかかれらの姿は消えていた。調べたところ、領内のお稲荷さんの化身とわかり、忠裕はおおいに感謝したと伝えられる。本殿の背後の山上には、六世紀後半に築かれた前方後円墳があり、羨道部が玄室に直角に付けられた珍しいつくりで、T字型古墳と呼ばれている。