篠山の歴史・見処を訪ねる-83


霊輝山瑞祥寺と那須与一大権現








細工所城の南方にある曹洞宗の寺で、元は細工所城下にあって竜峯山観音寺という五坊もある大寺だったという。天文年間(1532〜55)、細工所城主となった荒木城守氏香が。霊輝山瑞祥寺として再建したものである。境内に祀られている那須与一大権現は、元観音寺から移築されたものである。弓の名人として名高い那須与一宗高は、源義経に従って丹波通過の途中で病となったが観音寺に祈願して快癒、屋島の源平合戦で扇の的を射落す名人芸をみせた。その縁で、のちに京都即成院より宗隆の分霊をいただいたのがはじめで、受験生には「的を射落とし」合格がかなうと多くの参拝者を集めている。