篠山の歴史・見処を訪ねる-60


松平又四郎と血寄地蔵








篠山藩四代藩主形原松平康信の甥松平又四郎は乱暴者で、家中一同から大変恐れられた。その不行状は一向に改まらず、ついに、万治二年(1659)の秋、康信は刺客をもって又四郎を惨殺した。その不幸な死を哀れんだ村人たちが、暗殺された路面を清め、道端に地蔵尊を安置し、供養としたのが血寄地蔵のはじめである。