篠山の歴史・見処を訪ねる-57


裸榧(磯宮八幡神社の境内)








カヤはイチイ科に属する常緑高木で、その実は縄文時代より、もっとも食用として喜ばれたものであった。篠山市の東方日置にある磯宮八幡神社の南側鳥居、その右側の草地に三本の榧の木がある。その中の一本が裸榧(ハダカガヤ)で、世界中でこの一本だけという貴重なもので、大正時代に国指定の天然記念物となった。この裸榧は足利尊氏の植えたものが、大きく育ったと伝えられている。
足利尊氏は建武の新政成立における一番の功労者であったが、尊氏の存在を喜ばない新政府はによって不本意な立場に置かれていた。また、新政の論功行賞は倒幕に活躍した武士に薄く、にわかに政府に出仕した公家に厚かったことから、多くの武士が新政に対して不満を抱いた。武士たちの期待は尊氏に集まり、ついに中先代の乱をきっかけとして鎌倉に下った尊氏は新政府に謀反を起こしたのである。新田義貞率いる討伐軍を破って京を制圧した尊氏であったが、北畠顕家率いる奥州軍に敗れ、丹波路を通って九州へ落ちていった。その途中、磯宮八幡に立ち寄った尊氏に対して、社僧の勝心が菓子として出したのが榧(カヤ)の実であった。尊氏はその榧の実の皮をむいて社前に奉げ、武運長久とともに、この実が育って無皮の実が成るようにと祈ったという。ありえないことを祈ることで、逆境を跳ね返そうとしたのであろう。尊氏の祈りは八幡に通じ、その実から育った榧の実は堅い殻がない渋皮だけのものであった。
その後、九州の官軍を破って再起した尊氏は、湊川の合戦で楠木正成を討ち取り、京を制圧すると足利幕府を開いた。尊氏の開運には、磯宮八幡に蒔いて行ったカヤの実の霊験も大きく預かったのではなかろうか。まことにめでたい榧の実である。
裸榧の実