古くは安楽堂と称したといい、諏訪神社の神宮寺であったようだ。縁起によると神亀年間(724〜29)の創建で、ご本尊の十一面観音菩薩立像は行基大僧正の作と伝えられている。
参道の横に市野真徳翁の屋敷跡があり、裏山の古い墓地には真徳夫妻の墓石が祀られている。
市野翁は旧篠山藩士であったが、六十五歳のとき祝日に打ち上げる花火を作っていたところ、
突然の爆発で両手を失ってしまった。その後、「無手翁」と称し、不自由になった身体で筆を持つ訓練を行い、青山氏の
系譜録をはじめ、古史旧記を調査、考証を加えて「仰青録」を著した。
足掛け七年、すべてみずからの筆によるものであった。いま翁の事績は忘れられつつあるが、篠山の偉人として忘れてはならない人物のひとりである。
|
|