西岡屋にある富の山山麓に鎮座し、建御名方神・八坂刀売神および八重事代主神を祀っている。天平勝宝(749〜57)のころ、信濃国の諏訪大社のご分霊を勧請したのが始まりと伝えられている。
伝承によれば、古佐の与佐九郎という者が、信州の諏訪へ参拝しての帰路、年のころ十二・三歳くらいの女の子が後になり前になりしてついてくる。来る日も来る日もついてくるので、不思議に思った与佐九郎は「どこまで行くのじゃ」と尋ねると「丹波じゃ」と答えるので、それならばと同道して丹波に帰ってきた。吹の雲岡山まで来て「丹波へ帰った。姐さんはどこへ行くのか」と与佐九郎が聞くと、女の子はいきなり雲岡山の山頂から下を流れる大川の淵に飛び込んだ。驚いた与佐九郎が淵を覗き込むと、娘の姿は目を光らせた大蛇と化し『我は諏訪明神なり、五穀豊穣安産さそう』といい岡屋の山を七巻半巻いて鎮まったという。娘は建御名方神の妃である富比女という神で、富比女神を岡屋に斎き祀ったことを物語った昔話であろう。大蛇が七巻半したことから、檜の大木を御神体として祭祀し社殿は建築されなかった。いまの社殿・拝殿は、明治以後に建立されたものである。
岡屋の山が富の山と呼ばれるようになったのも、この伝承に由来したものである。また富の山は「飛の山・刀美の山」ともいわれ、戦国時代、八上城主波多野秀治の重臣渋谷伯耆守氏秀と一族が拠った城址がある。富の山一帯はよく手入れが行き届き、格好の散策路となっている。
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