伊勢三郎義盛は源義経の四天王の一人として知られる人物で、伊勢国に生まれ、上野国で義経の家来になったという。義経は平家との戦いに活躍したが、のちに頼朝と不仲になり、文治五年(1190)に奥州衣川館の戦いで自刃して果てた。義経には三年間の消息不明の期間があるが、一説には当地出身の鷲尾三郎経春のつてで、三岳修験者たちに隠まわれていたという。義経に従っていた三郎も、三岳に滞在したのではないだろうか。そして、義経とともに北国落ちして、衣川で討死にしたのだという。供養塔は西浜谷集落にある毘沙門堂の奥にあり、かすかな三郎と丹波のゆかりから後世に建立されたものと伝えられている。
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