東窟寺は天台宗の寺院で、大化年間(645〜50)に法道仙人が開創したと伝えられる。山号の「五台山」は山上の五つの大岩石によるとともに、中国の仏教霊場五台山に因んだものという。ご本尊は阿弥陀如来で「つごもり観音」と称され、いまも月末に参拝者が多いという。山間の小さなお寺だが、中世、おおいに繁栄した三岳修験道と共に栄え、永禄年間(1558漢0)には四十九院七堂伽藍が甍を誇っていたが、明智光秀の丹波攻めの兵火によってことごとく焼失してしまった。東窟寺の後方山腹にある十一面観世音菩薩を祀る岩谷観音へ通じる山道を登っていくと、阿弥陀堂跡、薬師堂跡、般若心経塔、鐘楼跡などなど、かつての伽藍の跡地が連なっている。往時の繁栄のほどが偲ばれるとともに、形あるものの栄枯盛衰が実感される。
観音堂への参道はハイキングコースとして整備され、道標も要所に立てられている。閼伽水のあたりより観音堂が見え、
睨み岩を過ぎると山号となった五台山の岩が威容見せる。そして、観音堂の見事な石垣が前方に聳え立ち、岩谷観音堂の
甍と見事な景色を作り出している。往時、諸堂宇が存在していたころの情景を想像すると、その見事であっただろう
景観が失われてしまったことはまことに残念なことである。岩谷観音境内への石段を登ると右手に鐘楼があり、
そこからの篠山方面の眺めは絶景である。鐘楼は休憩所も兼ねていて、ふと山側の堂内を見ると閻魔大王が
祀られている。鐘楼に閻魔さま不思議な取り合わせだが、その由来は分からなかった。
岩谷観音堂は寂び寂びとした木造で、お堂の背後にある大岩の洞窟内に微笑んだ表情の法道仙人像が
祀られている。
むかし、大岩の洞窟に九頭の大蛇がいて毎年人身御供をとっていた。ある年、某庄屋の娘が人身御供に当たり、
悲嘆にくれた両親は娘を助けようとして諸国に身代わりの娘を探し求めた。やがて阿波国の少女が求めに応じ、
身代金を全部母に渡してその危難を救ったのち、みずからは丹波に来て人身御供になろうとした。この健気な少女を
救おうとした法道仙人は大蛇成仏の修法を行い、大蛇を見事に成仏せしめたという。なぜ、庄屋の娘は助けようと
しなかったのだろうか?という疑問は残るが、『東窟寺縁起』として伝えられる説話である。
東窟寺の背後の山は岩谷山と呼ばれ観音堂より登山道があり、西ヶ嶽から御嶽、さらに小金ヶ嶽へと通じている。かつての三嶽修験道の道の一つで、コースの要所に道標もあり、健脚の方はチャレンジされてみてはいかがだろうか。
・2008-04/27 → 2009-12/20
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