篠山の歴史・見処を訪ねる-38


玉 水








古書や伝承によると、もと西黒岡川の川筋にあたるといい、篠山築城のころには二の丸北西部の山裾に激しく流れ込んでいたが、埋められて小池となった伝える。元禄五年(1692)、ときの篠山城主松平信庸が建てた『日置玉水の碑』には「玉のような水しぶきは永遠に尽きることはないだろう」とあり、玉水の名の由来となった。