篠山の歴史・見処を訪ねる-31


佐佐婆神社








佐佐婆(ささば)神社は篠山の町の東北方にあり、社伝によれば孝霊天皇の勅令により創建したと伝えられる古社である。「丹波志」などによれば、初めは楽々庭大明神といい、のちに八幡神社と称するようになったのだという。「楽々庭」とは「楽楽庭」とも書かれて、「斎庭」のことで、清められた空間を意味することばである。この「ささば」こそが、「篠山」の語源のひとつともいわれる。
古代豪族蘇我氏ゆかりの神社とも伝えられ、創建当初は現在地の北方にある八百里山麓に鎮座していた。ご祭神は、天野忍穂耳尊、志夫美宿祢王、天之宇受売命、八幡大神、春日大神、住吉大神などで、のちに八幡神社と称するようになり、中世より畑荘(曽我部荘)の総社であった。丹波守護細川氏、丹波の戦国大名波多野氏、畑荘の国人畑氏らが崇敬をよせ、保護を与え、天正年間(1573〜92)に現在地に移されたという。江戸時代になると、歴代の篠山城主も尊崇し、社殿の再建や増築をするなど厚い保護を寄せてきた。境内には、延応元年(1239)に後鳥羽上皇のご分霊を隠岐から迎えたとされる宝塔、細川満国の百度石がある。
祭礼は毎年十月の第一土曜と日曜に行われ、宵宮祭には各集落から十基の山車と、太鼓御輿七基や金御輿三基が次々と宮入し、華やかな祭典が繰り広げられる。還御が終わったのちに行われる「流鏑馬」は、寛永二年(1625)頃から始まったと伝えられ、毎年受け継がれてきた。さきの大戦末より長く中断されていたが、現在は復活されて祭りのハイライトとなっている。