篠山の歴史・見処を訪ねる-20


宝乗山妙福寺








ご本尊は久遠実成本師釈迦牟尼仏座像で、縁起によれば永仁〜正安(1293〜1302)のころ、 摂津国島上郡五百住村に草創されていた一寺があった。 天文年中(1532〜55)のはじめ、荒廃していた同寺を、京都本國寺蓮光院十四世日助上人が、松永某のために 日蓮宗寺院として開基再建したのが妙福寺のはじめという。 弘治元年(1555)、八上城を攻略した松永久秀は甥の松永孫六を城主とした。 のちに妙福寺に参詣し尊崇を深めた孫六は、永禄五年(1562)、当時の住職日洞上人に請うて八上城下に移した。
天正七年(1579)に八上城が落城、慶長十四年(1609)、天下普請で 篠山城が築かれ城下割りが行われた。ともに八上城下にあった誓願寺などとともに、妙福寺も現在地に移築された 一帯は、篠山城下町の西の護りもになっていたようで、山門に続く参道など有事に備えた構えを感じさせる。 寺宝の木造日蓮上人座像は室町期の作で、永禄五年と元禄十二年(1699)に補修したとの墨書銘が残り 市指定文化財となっている。また、大坂の陣で活躍した武将後藤又兵衛の子孫で、篠山藩に仕えた後藤家の 古びた墓石群が境内墓地の一角に残されている。

取材/撮影:2008年5月6日 →2009年1月3日・5月29日