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篠山の歴史・見処を訪ねる-16
頼尊又四郎稲荷神社
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第四代篠山城主形原松平康信の甥に、松平又四郎という青年がいた。又四郎は康信を笠に着て奔放無頼の生活を送ったため、皆から恐れ嫌われた。康信は又四郎に意見をしたが修まらず、ついに万治二年(1659)、刺客に命じて又四郎を暗殺した。城下の人々は又四郎の剛勇闊達さと溢れるような生気を称え、稲荷神として乙姫龍王神ととも祀った。これが又四郎稲荷に由来で、青山忠裕の時代、上覧大相撲で大活躍した八名の力士の一人に頼尊又四郎として登場している。