篠山の歴史・見処を訪ねる-15


清涼山来迎寺








戦国時代、戦乱をさけて波々伯部保に京都永養寺の誓誉上人が逃れてきた。土豪中西政親は誓誉上人に教えを受け、不断寺を建てたのがはじまりという。八上城主波多野秀治も篤い信仰をよせ、寺を八上城下に移して阿弥陀寺と称した。波多野氏が滅んだのち、篠山城が築かれると門除けとして、慶長十五年(1610)に現在地へ移築された。見事な勾配の大屋根の本堂がすばらしく、鎌倉末期作の三尊来迎図、奥丹波唯一の名号板碑などが伝わっている。