篠山の歴史・見処を訪ねる-14


嶺松山尊宝寺








永正三年(1506)、波々伯部村の土豪加竹法印が天台宗の尊宝院として創建し、子の印清雪隆が開山となった。八上城主波多野氏が崇敬を寄せ、八上城の鬼門除けの祈願所となしていた。印清はのちに本願寺九世実如上人の教えをうけ、名を印西と改め、浄土真宗に改宗したという。波多野氏が滅んだのちの慶長四年(1599)、八上村藤ノ木に移り、さらに篠山城が築かれたのちに鬼門除けとして現在地へ移築された。山門上に左甚五郎作という木彫の唐獅子があり、大火で本堂が焼けたとき炎を吹き消して山門を守ったとの話が伝えられている。