篠山の歴史・見処を訪ねる-13


王地山陶器所






文政元年(1818)、ときの篠山藩主青山忠裕は京都から名工欽古堂亀祐を招いて藩窯王地山焼を開いた。最盛期の嘉永年間(1844〜1853)には、幾多の名作を生み出すまでに育ったが、明治の廃藩とともに廃窯となってしまった。それから120年を経た昭和63年に王地山陶器所として復興し、当時の技法で青磁・染付・赤絵を制作している。