篠山の歴史・見処を訪ねる-04


南の馬出








馬出は城門(城の出入り口)のさらに外を守る施設で、城内への出入りを複雑にするための仕掛けである。篠山城には北、東、南の三ヶ所にあったが、現在、東と南の馬出が残っている。
城の戦闘用出入口でもある城門は、専門用語で「虎口」と呼ばれる。城といえば天守閣と石垣が連想されるが、初期の城は土塁で作られ、出入口(虎口)は土塁の一部を切って設けられた。虎口は敵の攻撃がもっとも集中するところで、外側に盛土をして敵の攻撃を防ぐ緩衝地帯を設けた。これが馬出の原型で、戦いが始まると城将は敵状を偵察したり、兵馬を集めて城外へ出撃する拠点とした。この馬出が発展、巨大化して「馬出曲輪」、「出丸」となっていった。大阪冬の陣で有名な「真田丸」は、出丸の規模がさらに大きくなったものである。
篠山城にあった三ケ所の馬出のうち、北方大手門の馬出は大正十二年(1923)に埋め立てられ、現在は公園と駐車場になっている。「南の馬出」は東西百メートル、凹字型の土塁と濠に囲まれ築城時の姿をとどめたものだ。現存している日本唯一の土塁馬出として、昭和三十一年(1956)十二月に国史跡に指定された。一方、東門の馬出は南の馬出より小ぶりだが、石垣造りのスマートなたたずまいを見せている。
・写真:南馬出跡