京都丹波綾部市の北西部にある高城山の南山麓に鎮座する古社で、延喜式内社の嶋萬神社に比定されている。『式内社調査報告』では、もとは秦氏系の古代氏族の祖神であったものを律令制の神祇政策により出雲系神話の神に改神したとある。社名の読み方は「しままん」と呼ぶ人もいるが、地元では「しまま」と呼ばれているようだ。『明治神社誌料』には「しままの」と記され、『神社覈録』に「志麻々と訓むべし」とあり、「しまま」と呼ぶべきなのだろう。
現在、祭神は京都の八坂神社(祇園さん)と同じ「すさのおのみこと(素盞嗚命・素戔嗚尊・須佐之男命)」で、社伝によれば、天平八年(736)に疱瘡が流行し、翌九年に八田郷、吉美郷の人々が疫病平癒祈願のために本社を勧請したとされている。いわゆる疫病払、厄病除けの神様であり、現在も安産・病気平癒の神として崇敬されている。江戸時代まで別当寺として薬王山海蔵寺があり、本地仏に薬王を祀り、五社大明神とも薬王大菩薩社とも称されていた。十月十日に行われる祭礼に奉納される太刀振と太鼓踊は、中世末期に流行した風流踊を伝えるもので、昭和六十年に京都府の無形民俗文化財に登録された貴重なものである。
島萬神社の社殿を見ると、随所に「花菱」紋が据えられていて神紋であろうと思われる。しかし、祭神「すさのおのみこと」を祀る神社は「祇園さん」と称されて、その神紋はといえば挙って「五葉木瓜」が用いられる。島萬神社の「花菱」は、何に由来するものか?いまその由来を尋ねているところだ。
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