神紋
近江国-沙沙貴神社




天下の大姓−佐々木氏発祥の地に鎮座する佐々木氏の総氏神。


  
沙沙貴神社
 
正面の鳥居 ・ 随身門 ・ 随身門の提灯に描かれた神紋 ・ 豪壮な舞殿と社殿
 

 近江国は、中世佐々木氏が勢力を誇った。佐々木源氏は、宇多天皇の皇子敦実親王を祖にすると伝え、沙沙貴(ささき)神社を氏神とした。沙沙貴神社は安土駅から歩いて二十分くらいの田園のなかに鎮座し、少彦名命・大彦命・仁徳天皇・宇多天皇、そして敦美親王の五柱を祀っている。鳥居をくぐって低い石垣の続く参道を経て神社に向かうと、豪壮な茅葺きの楼門があらわれ老杉の生い茂る森の中に社殿が立ち並んでいる。
 佐々木氏の家紋は「四つ目結」として世に知られたもので、沙沙貴神社の神紋も「七つ割四つ目結」で、楼門の脇に立てられた提灯、本殿前の賽銭箱、はては車止まで神社のそこかしこに目結紋が据えられていた。訪ずれた前日が祭礼であったとのことで、本殿には祭りの名残りがまだ漂っていた。

 
社殿を見る ・ 願掛け石 ・ 本殿西方の権殿 ・ 摂社群

 
本殿裏の「干支の庭」 ・ 賽銭箱の神紋 ・ 吊灯篭の神紋 ・ 丑寅の鳥居
 

 沙沙貴神社は延喜式内社で奈良・平安時代に、蒲生・神崎両郡の大領をつとめた豪族狭々城山君(ささきやまぎみ)が祖神を祀ったのがその始めと伝える。宇多源氏を称する佐々木氏が勢力を拡大する過程で狭々城山君の子孫は佐々木氏と同化していったようだ。現在、佐々木氏の子孫は全国に三百万人いるといわれ、京極・黒田氏などの旧大名や旧財閥の三井氏、日露戦争の二〇三高地の戦いで知られる乃木希典大将なども子孫の一人で、境内社として乃木大将も祀られていた。
 安土は、戦国時代織田信長が安土城を築いた地でもあり、沙沙貴神社からJRの線路をはさんで琵琶湖川の安土山に、信長の築いた安土城の石垣が戦国の名残りをとどめている。



   
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