尾張国-針綱神社




尾張五社の一に数えられる式内社−安産にご利益があるという


針綱神社
参道の大鳥居 ・ 太鼓橋 ・ 社殿を見る ・ 参拝 ・ 御神馬

針綱天満宮 ・ 摂社−染甫社・鍛冶社(右) ・ 摂社群 ・ 秋葉神社 ・ 市神社

金毘羅社 ・ 三光稲荷の赤鳥居 ・ 猿田彦神社鳥居 ・ 国宝犬山城天守閣 ・ 成瀬氏を祀る犬山神社
 

【祭神】
尾治針名根連命(おわりはりなねむらじのみこと)
玉姫命(たまひめのみこと)・ 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・ 菊理姫命(きくりひめのみこと)・ 大己貴命(おおなむちのみこと)・ 建筒草命(たけづくさのみこと)・ 建多乎利命(たけたおりのみこと)・ 建稲種命(たけいなだねのみこと)・ 尻調根命(しづきねのみこと)・ 大荒田命(おほあらたのみこと)

針綱神社は、国宝犬山城の一角に鎮座する古社である。社伝によれば延喜式神明帳所載の式内社で本国貞治本には従一位針縄明神、又同亀本には正一位針綱明神とあり、太古よりこの犬山の峯に鎮座せられ東海鎮護、水産拓殖、五穀豊饒、厄除、安産、長命の神として古来より神威顕著にして、士農工商の崇敬殊に厚く白山大明神と称えられ濃尾の総鎮守であった。中古、織田信長の叔父にあたる信康公が市内木の下城を社地に移築せんと御奈良天皇の宣旨を蒙り、天文六年(1537)八月二十八日市内白山平に遷座し奉った。以後69年を経た慶長十一年四月八日更に市内名栗町に遷座し奉り、城主成瀬氏代々の祈願所であった。
明治維新の後明治十五年十一月名栗町の座地より天文六年まで座地であった現在地に御遷座になり、尾張五社の一つとして近隣の崇敬を集めている。ちなみに、尾張五社とは、熱田神宮、尾張大国霊神社(国府宮神社) 千代保稲荷神社 、津島神社、そして針綱神社をいう。また、針綱神社は安産、子授けにご利益があるという。これは、織田信康が天文六年に自らの手彫りによる狛犬一対を奉納して、奥方の安産を祈願したことに始まったといわれる。以来、戌の日に安産祈願すると良いとされている。毎年行なわれる犬山祭の神輿の渡御には狛犬様も御供されて市内を巡行されるのが通例となっている。
【神社境内の説明板より】


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