山城国-八大神社




決闘を前にした宮本武蔵が参拝したという伝説を有する北の祇園社


八大神社
 
正面の鳥居 ・ 本殿へ ・ 拝殿と立砂 ・ 拝殿に据えられた神紋 ・ 扉に据えられた神紋

 
摂社群 ・ 参道脇に小さな祠が ・ 本殿横の宮本武蔵像 ・ 一乗寺の下り松 ・ 詩仙堂の表門
 

いまより約七百年前の永仁二年(194)に勧請されたという。祭神は祇園八坂神社と同じ素盞鳴命・ 稲田姫命、そして八王子命(五王子・三王女)である。 古来より北天王(北の祇園)と称され、皇居守護神十二社中の一社にして、都の東北隅表鬼門に 位置し、方除、厄除、縁結び、学業の神として厚く信仰された。 後水尾天皇、霊元天皇、光格天皇の修学院離宮行幸のみぎりには、 白銀などが奉納されたと伝えられる。
八大神社を有名にしたのは、宮本武蔵が吉岡一門と戦った一乗下り松の決闘である。 史実はともかくとして、吉川英治が小説「宮本武蔵」の中で、武蔵が決闘の前に 八大神社に立ち寄ったと記されてからだ。それによれば、八大神社の神に祈ろうとした武蔵は寸前で 考え直し決闘に望んだことになっている。いま、社殿のとなりに決闘当時のものという下り松の古木が保存され、 すぐ近くにブロンズ製の武蔵像が建立されている。 また、徳川家康の部将だった石川丈山が隠遁生活をおくった詩仙堂丈山寺がすぐ近くにある。
[境内案内板の由緒書 など]

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