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香取神宮
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香取氏
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坂東太郎の異名をとる利根川下流にある水郷地帯の要にあたる地に香取神宮は鎮座する。文明の発祥地には必ず河川があるように、利根の両岸には香取.鹿島の両神宮が祀られている。
『日本書記』によれば、香取神宮の祭神である経津主大神は、天照大神の神意を奉じて、諸々の神より選ばれて、
鹿島の大神とともに出雲に下り、出雲の大国主神と交渉の結果、円満裡に国譲りを行わせた。また、諸国を巡行して
荒ぶる神々を平定し、日本建国の基を築くことに大功をあげた神であった。
大いなる神威
創建の時期は明かではないが、古伝によると神武十八年と伝える。『常陸風土記』行方郡の項にはすでに「香取」の名が表われ、平安時代には下総・常陸両国の海夫を管理していたことや、神領が七里四方とあるなど、神威の大きかったことがうかがわれる。『延喜式』では名神大社であり、特に「神宮」の称号を受けている。これは伊勢神宮のほかでは、香取・鹿島の両宮のみである。
奈良の春日大社や仙台の塩竈神社など、経津主大神を奉祀する神社が全国に二千五百余社あることは、神徳の宏大さを示している。このように、香取神宮はその神徳によって、皇室の篤い崇敬から一般庶民に至るまで幅広い信仰を集め、国家鎮護の神、また武徳の神として全国の武道場には必ず、香取・鹿島の神が祭られていた。さらには揖取の神ということから交通安全・航海安全の神としても名高い。
香取神宮に蔵されている海獣葡萄鏡は白銅製で直径二十九.四センチ、厚さ二センチの円形大形のもので、国宝に指定されている。鏡の裏面の文様は海獣異鳥をめぐる葡萄唐草文を中心としたもので、その表現は極めて鋭利精緻である。神宮伝来の由緒は詳らかではないが、中国唐時代の作で、奈良正倉院御物、四国の大山祇神社所蔵のものとともに日本三大名鏡と呼ばれ、そのなかでも随一と評されている。
香取神宮の大宮司は香取氏を称していた。香取大系図によれば、香取氏は神宮祭神である経津主命の子苗益命を祖とする、すなわち香取神経津主命の神裔である。豊佐登のとき香取連を賜り、文武朝期、雄足が香取社大祭を行っている。その曾孫五百島は大中臣氏から養子を迎えた。以後、香取氏は香取姓を改めて中臣姓を称するようになった。
以後、一族から大宮司を出し、秀房に至って、大宮司職はその子孫が世襲し、代々が香取神宮の大宮司を務め、連綿して明治維新に至った。
【三つ巴】
■大宮司香取氏参考系図
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