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延喜式とは、律令を補足した施行細則のようなもので、格式の一つ。延喜時代(927)に編まれたことから『延喜式』と称される。しかし、格式のなかでも『延喜式』は趣を異にし、当時の政治万搬にわたって、いわゆる百科便覧のような内容をもっており、平安時代の研究に欠かせない史料である。
全五十巻から成り、「神社」に関係が深いのは第一巻から第十巻までの神祇の編(神祇式という)で、そこには四時祭・臨時祭・斎宮寮・斎院司・祝詞・神名帳が収められている。
『延喜式』の神名帳には、二千八百六十一社(座数では三千百三十二座)の神社が掲げられており、北は奥羽から、南は大隅・薩摩に及び、その分布は畿内が断然多く、遠国になるほどに少なくなっている。
ところで、神名帳所載の神社は、その当時の神社のすべてではなく、国家が公認し、幣帛を奉った神社に限られているから、神名帳記載の他のも国家未公認の神社は少なからず存在したことはいうまでもない。
『延喜式』所載の神社を「式内社」といい、それ以外の神社を「式外社」という。延喜に前後して作成された『倭名類聚抄』によると、郷の数が四千十二ある。かるに一郷一社としても、その頃の神社の数は式内社の数をはるかに上まわっていたことになる。
ところで、平安時代末の律書残篇によると、郷の下に里・村が生れ、その数一万二千三十六とある。
近世になっての聚落の発展は目覚ましく、また新田開発も行われたから、神社数の増加もはなはだしかった。
・写真:丹波櫛岩窓神社にて
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