田中氏
Tanaka


 田中は田圃の中であり、田の中に居住し囲の田を管理する意味といわれる。田圃の周辺に居住した人々によって集落が形成され、田中の地名が増えていった。古来、農業国であるわが国に最もふさわしい名字ではなかろうか。田の付く名字は、日本の大姓100位のなかにも山田、吉田、池田など23氏がある。その中で断然多いのが「田中」で、とくに関西・北九州では他姓を引き離し大阪・奈良では一位、京都・滋賀・兵庫・和歌山・の各県での一、二位となっている。これは稲作が西日本から東日本へ伝播していった歴史によるものとも思われる。
 その出自もいろいろで、古代には蘇我氏の一族や、凡河内氏の一族、百済系の田中氏もあった。百済系では、田中連公麿が大仏鋳造に活躍し、朝廷より四位を授けられている。また古代からの田中氏には、神官や神職が多いのもこの姓の特色だ。
 大和国から出た田中氏としては、天津日子根命の後裔で高市郡田中から起こった田中直、武内宿禰の後裔という蘇我氏の一族である田中臣が知られる。田中臣は、のちに朝臣姓を賜り、子孫は南北朝時代に大和武士として活躍している。神職を務めた田中氏では、山城国石清水八幡宮の別当から出た紀姓田中氏、伊勢神宮外宮祠官渡会氏系の田中氏、その他、京都の鴨社、上総一ノ宮の神職に田中氏がいる。

■新田氏流田中氏参考系図

 武家の田中氏は地名によったものが多く、その出自も多彩である。近江国高島郡から起こった田中氏は、近江源氏佐々木氏の一流高島氏の別れで高島七頭の一として勢力があった。また、佐々木京極氏から出た田中氏、愛智氏から分かれた田中氏など近江には佐々木氏系の田中氏が多い。豊臣秀吉に仕えて大名に出世した田中吉政も近江の出身だが、高階氏の後裔とも橘氏の流れともいう。近江の隣美濃国池田郡から出た田中氏は清和源氏土岐氏の後裔、甲斐源氏からは安田義定の子義輔が山梨郡田中によって田中を称し、上野国では新田郡田中から起こった清和源氏新田一族の田中氏がいる。新田系田中氏は新田義貞に従って各地を転戦、北九州・四国・越後などに広まった。
 播磨国の田中氏は播磨の大族赤松氏の分かれで、赤松氏範の子氏勝が田中を称したことに始まるという。その他、阿波国海部郡から出た田中氏、陸奥行方郡から起こった相馬氏系田中氏、肥前国彼杵郡からは河野氏系と藤原氏系の二つ田中氏が出た。さらに、伊豆国田方郡田中から北条氏系、豊後国大野郡田中からは大友氏系と、全国各地から田中氏は発生している。
 このように田中氏は出自が多彩なだけに、家紋も実に多様である。とはいえ、田中氏らしい家紋は「酢漿草(片喰)」紋で、酢漿草は田の畦などにさりげなく茂っている雑草で田中姓にお似合いのものである。ちなみに、田中角栄家は剣酢漿草紋だという。他には、木瓜、三つ巴、四つ目結、蔦、三つ柏などが用いられている。 ・2009_07/08


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近江田中氏 里見田中氏



●左上から/蔓木瓜・三つ巴・丸に四つ目結・細輪に蔦・剣酢漿草・
(二段目)丸に違い矢

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