地名は、連なる山で中心になる山の意で、主要な地名だけで全国に七十箇所あるという。姓氏はこれによるが、中山氏は公家の名流も多い。 藤原北家花山院流中山氏が主流だ。花山院は、藤原氏の本流である関白道長の孫・京極師実の子家忠が祖。その孫の忠親が、京の中山に住んで中山氏を名乗った。その後裔が、明治天皇の外祖父中山忠能だ。花山院流中山氏の分流は鎌倉期から各地に割拠したが、大江氏とともに羽前へ下向した中山氏は、村山長崎城主として最上家に属した。信濃に移って芦名氏に属し、のちに上野国藤岡に転じた中山氏もこの流れという。 ■中山家(藤原北家花山院流) 羽林家の一にして、洛東中山より起こる。尊卑分脈に 師実−花山院家忠(左大臣)−忠宗−忠親−兼宗−忠定−道平=基雅−┐ ┌――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └家親−定宗−親雅−満親−定親−親通−宣親−康親−孝親−親綱┐ ┌―――――――――――――――――――――――――――┘ └慶親−元親−英親=篤親−兼親−栄親−愛親−忠尹−忠頼┐ ┌―――――――――――――――――――――――――┘ └忠能┬忠愛−孝麿−忠顕 ├忠光 └慶子(明治天皇母) 羽林家 旧家 二百石 侯爵、家紋、中山杜若(カキツバタ) 武蔵国入間郡中山の発祥は、武蔵七党丹党秩父氏族で、高麗経家の孫助季が中山氏を称した。水戸藩家老の中山氏も同族。また上総の久留里藩主黒田家もこの流れ。 同じ武蔵七党でも児玉党阿佐美氏族中山氏は、上野国吾妻郡中山の発祥。 他流では、岩城の桓武平氏岩城氏族、下野の山内首藤氏族、常陸の大掾氏系馬場氏族、三河の阿部氏族、播磨の赤松氏族、肥後の菊地氏族などがある。 代表家紋は、公家中山氏が「中山杜若」、丹党は虎杖。ほかに、丸に丁の字、蔓柏、石持ち花沢瀉など。 ■各地の中山氏の由来 ■大和の中山氏 当国山辺郡に中山の地あり、この地名を名乗りしもあらん。又、当国添上郡の名族にこの氏あり、檪本村倉庄城に拠る。郷土記に「倉庄山城、中山賀藤治」と見ゆ。 ■度會姓 伊勢外宮祠官にして、外宮権禰宜家筋書に「中山、橋村元祖国正の五代 正次の家 元祖」と。 ■近江の中山氏 甲賀五十三士の一にこの氏あり。又、浅井三代記、京極家臣に中山五郎左衛門尉など見ゆ。 ■尾張の中山氏 知多郡の名族にして、藤原兼家の後裔と云い、また、藤原北家勧修寺家流の中山顕時り後裔との説あり。当郡岩鍋城(岩滑村)は、中山刑部大輔勝時の居城と伝え、勝時は、信忠に従いて討死すと云う。その裔 江戸幕臣たり。寛政系譜に「刑部少輔重時−民部大輔勝時(水野氏、後に信長に仕う)−勝政(家康に仕う)−重時−幸時−時長−政時、家紋 三文字松皮、丸に松皮、丸に三階菱、五三の桐」と。 ■幕臣藤原姓 寛政系譜に「顕信(駿河大納言に仕う)−顕長−顕広−顕成−顕応−顕生、家紋 丸に横木瓜、丸に六丁子」と。その他、清左衛門勝重(黒餅に花澤潟、三団子)、源兵衛利勝(巴崩、梶の葉)、新右衛門義信(丸に四半、左三巴)などの諸家あり。 ■丹党 家紋、升形に月、黒田桝形に月、虎杖(イタドリ) ■松岡流 備前守信吉・家康に仕え 慶長十二年、水戸頼房の附家老となり、次第に加増ありて、遂に、真壁二万石を領す。 寛政系譜に 信吉−信政−信冶−信行−信成−信敏−信順=信昌−政信=信敬−┐ ┌――――――――――――――――――――――――――――――┘ └信情−信守−信宝−信徴−信実 常陸松岡 二万六千石 家紋 升形のうち月、虎杖 水月 丹の字、明治 男爵 ![]() ●左から/石持ち抱き沢瀉・中山杜若・細蔓柏・虎杖・雪輪に蔓柏 |