地名は川の上手を指し、川中・川下と同じ発想からきている。姓氏はこれによるが、河上氏は西国の方がやや多いようだ。
■各地の川上氏の由来 ■藤原北家宇都宮氏族 下野国那須郡に川上村あり。都野系図に「宇都宮宗綱十世孫 権太郎勝助、近江国浅井郡に住す。その子 房隆 川上孫二郎と云う、河上氏の祖なり」と。 ■近江の河上氏 当国 高島郡に川上郷あり。この地名を名乗りしもあらん。又、宇都宮氏の族、佐々木族にも河上氏あり。 ■石見の河上氏 宇都宮族とす。その系図に「房隆(孫二郎、河上城に居り氏とす。清泰寺を建つ)−孫三郎(興国二年、官軍に応じ芸郡と戦う)−五郎左衛門(正平五年九月、高師泰に攻められ落城)− 中絶− 正修(五郎左衛門、永禄十二年、福屋の再挙に組してならず)−宗右衛門(小石見に在り、川神と称す)−団右衛門−孫左衛門(慶長二年、浅井村間島に移る)−八右衛門(慶長三年、亀山城地の代償 護摩堂の地を受く)−仁右衛門−甚九郎(弘化三年没)−伝蔵−徳寿郎−英」と。 ■佐々木氏流 石見国那賀郡河上(カワノボリ)村より起こり松山城に拠る。家系録に「佐々木氏の族 佐々木安芸守祐真(行連の兄)、元弘の軍功により正平六年、河上七百貫ほ賜り、松山城に住し河上氏を称す」と。 ■武蔵の河上氏 埼玉郡川上村より起こりしならん。保元物語 源氏勢汰の條に「武蔵には河上三郎、別府次郎」を載せたり。又、後世 多摩郡大久保村山祇社の神主家にこの氏有り。 ●左から/矢尻付き三本矢・沢瀉・亀甲に剣酢漿草・木瓜形・八つ日足 |