拾い話
左巴と右巴



 巴は正しくは鞆絵で、弓手の手首につける鞆の形、あるいは鞆に描かれた文様からきているという。 また渦巻きや蛇の形に起源するともいい、諸説あって未だ定説がない。
 鞆絵は最もふるい文様の一つで、また同時代の絵巻物などには、この文様の描かれていないものはないといって よいほど流行した文様である。平安後期には西園寺実季がこれを自家の車の文様に定めたといい、 家紋としても最も早い図柄であった。頭部の回転方向が左のものを左巴、右回転のものを右巴という。
 T巴紋の回転方向に関する左右の区分は、平安時代の儀式に用いた太鼓の鞆絵模様に起源するという。 すなわち「江談抄」に左の太鼓は三つ鞆絵、右の太鼓は二つ鞆絵を用いたとある。また「四天王寺聖霊絵巻」には、 左側に左三つ巴、右側に右二つ巴の太鼓を配置している。当時の故実としては、左方は左の三つ巴、 右方は右二つ巴の文様を描いて座位を区別していた。巴の左右の文様が、平安時代の儀式の太鼓方の左右を 表示したものであったことは分かる。とはいえ、それがそのまま巴紋の回転方向を示すものではなく、 時代により、家によって右左は混在していることも事実だ。
(現在は、時計の針の進む方向を右回りといっているようだ)
家紋:左=左三つ巴/右=右三つ巴(見聞諸家紋に収録された宇都宮氏の巴紋の呼称による)

■諸家の用いる巴紋の呼称と回転
西園寺藤原氏北家公季流 三つ頭左巴左旋回
梅 園藤原氏北家公季流 三つ頭右巴右旋回
大 宮藤原氏北家公季流 三つ頭旋回
長 尾桓武平氏良文流 三つ頭旋回
小 山藤原氏北家秀郷流 二つ頭右巴右旋回
板 倉清和源氏足利氏流 三つ頭旋回
大久保藤原氏北家宇都宮氏流 三つ頭旋回

 巴を家紋として用いた場合、巴の左右はその数の多少とともに、家の嫡庶・本末の区別にも利用された。 西園寺嫡流は「左三つ巴」を用いたのに対し、その庶流家は右三つ巴を使用している、などはその例だ。
………
[資料:歴史読本432号]



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