周防三浦氏
丸に三つ引両
(桓武平氏三浦氏族) |
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相模国の豪族三浦氏の支族。はじめ武蔵国在名に拠り、平子氏を称した。重経が建久八年(1197)周防国仁保荘・恒富保に任じられてより、これに拠り、重頼のとき仁保と改め、天正十五年(1587)元忠が三浦に復した。
南北朝時代は北朝方として大内氏に協力し、応永の乱後は大内氏に臣従。戦国時代初期、諸領は本領のほか、周防国楊井領家、長門国紫福郷、筑前国国分寺領・麦野清水村、豊前国吉田領家などを数えた。
大内氏滅亡後、長門国吉田氏、安芸国の吉川氏より養子を迎え、ついで毛利輝元は寵臣の安芸国の神田元忠にその家名を継がせた。こうして三浦氏そのものの血脈は跡絶えた。
■参考略系図
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