草刈氏
丸の内二つ引/十曜
(藤原氏秀郷流)


 藤原秀郷十一世の孫基近が、陸奥国斯波郡草刈郷の地頭職を得て下向、地名をとって草刈氏を名乗った。
 貞継のとき、因幡国智頭郡に移り淀山城を築いて、そこに拠ったという。その子氏継は山名氏清の討伐の戦に参加した。
 戦国時代、衝継は東北条郡高山城に拠って、尼子氏に対抗している。天文十一年以降毛利元就に味方し、天正十四年重継は毛利輝元から美作国久米南条郡・久米北条郡を賜っている。
 天正十三年には、小早川隆景に従って伊予白実白を預かり、同十四年には筑前国宝満城を預かった。その後、豊臣秀吉の命により、宗像氏貞の娘を娶って宗像氏を継ぎ宗像を称し、さらに筑前国中野郡福岡荘を領して福岡氏を称した。のちに草刈に復している。
 文禄・慶長の役には朝鮮に渡海し、関ヶ原の戦後は小早川秀秋に属したが、秀秋の違反により九州を捨てて、毛利輝元の麾下に復した。

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■参考略系図