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神戸氏
揚羽蝶
(桓武平氏関氏流)


 伊勢国河曲郡神戸郷を発祥地とする神戸氏は、桓武平氏といわれ、関氏の一族である。すなわち関左馬亮実治の長子盛澄が神戸郷に住んで、はじめて神戸氏を称したという。
 神戸氏に大変動があったのは、七代具盛のときである。織田信長が北伊勢に兵を進めたことが直接の引き金であった。具盛は、信長軍の破竹の進撃ぶりをみて抗しかねると判断し、講和という形で降伏に踏み切った。信長の三男で、当時まだ十一歳にしかすぎなかった三七丸、つまり信孝に家督を譲るということで、神戸氏の滅亡をまぬがれたのだった。
 信孝を養子に迎えた具盛は隠居する形をとって、神戸という家名の存続をはかったのである。しかし、具盛は信長のために近江日野城に幽閉されてしまい、その存在を否定されてしまった。天正十年信孝から、神戸城の留守を命じられているが、のちに安濃津で死んで絶家となった。

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■参考略系図



戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。 その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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