蔦 紋
蔦は、地上に繁殖する"艸"と空を翔ける"鳥"とを組合せた文字、
伊勢津の大名、藤堂氏が用いたことが知られている。
蔦の葉 丸の内頭合せ三つ蔦 大割蔦 石持地抜蔦

 蔦紋は、日本十大家紋の一つに数えられるほどに、広く用いられている家紋である。蔦は蔓科の植物で、他の樹木や建物につたわってどんどんはびこることから、生命力の強い縁起のよい植物として家紋に採用されたようだ。また「蔦」という字は地上にどんどん繁殖する「草」と空を翔ける「鳥」とを組み合わせたもので、そういう意味でもめでたい紋ともいえそうだ。一説に蔦紋の発祥は、桐紋を用いることをはばかって、桐紋の花の部分を取り去り、それに替えて葉を二枚加えたことが始まりだとするものもある。
 蔦は、紅葉すると楓に似ているので、別名をツタカエデあるいは地錦などともよばれる。平安時代から貴族の衣服の紋様に使われたことが「源氏物語」や「枕草子」「栄華物語」などから知られる。蔦の紅葉などの美しさから貴族に愛好されたのであろう。しかし、不思議なことに「蔦」を家紋にした公家は見当たらない。
 家紋としては室町時代の「見聞諸家紋」に椎名・富田・高安氏などの家紋として記されているのが初見だが、それ以前から家紋として用いられていたことは疑いない。椎名氏は越中の戦国大名であり、その出自は桓武平氏千葉氏流であった。当然、鎌倉時代は千葉氏の代表紋である「月星」を用いていたことが知られ、いつのころからか「蔦紋」を用いるようになったようだ。しかし、その時期、由来は不明である。
 戦国時代から近世にかけて「蔦」を家紋とした武家では、藤堂氏が知られている。藤堂氏の蔦紋は上下がひしゃげた形のいわゆる「たれ蔦」と呼ばれ、特に「藤堂蔦」と呼ばれている。そして、支流は「丸に蔦」を用いて本支を「丸」で区別している。ついで、出羽の六郷家も蔦紋を用いていた。六郷氏の家紋は「三つ亀甲の内に七曜」が有名だが、本家・支流ともに蔦紋を併用していた。
蔦  また武家のなかでは、徳川氏の一族である松平の諸家が蔦紋を用いていたことが特徴的であった。たとえば大給松平家の場合、もとは「丸に三葉葵」を用いていたが、将軍家をはばかって「一蔦葉」紋に替えたのだと家伝にある。このように、徳川家の「葵」紋をはばかってのことと考えられているが、どうして蔦を選んだのかという疑問に対する答えはない。一説に、本家(徳川家)が繁栄するにつれ、それにからまる松平諸家も繁栄することを願って、採用したものかも知れない。松平家のなかで、旗本百六十余家が「蔦」を使用していた。したがて、その意匠も多彩で「丸に三つ蔦」「三つ蔓蔦」など約四十種が確認される。
 江戸時代になると、上は大名から下は花柳界の女性にいたるまで「蔦」紋はおおいに広まった。花柳界の女性に好まれたのは、客に蔦のようにからまって離さないという縁起をかついだものと考えられる。屋号にも「蔦屋」というのが多く、店先の暖簾にも蔦紋が染め抜かれていた。
 これほどに愛された蔦紋だけに、そのバリエーションも多く、約五百種を数えている。そのなかで一番ポピュラーなものが、五葉の蔦紋だが、葉に切り込みの多いものを特に「鬼蔦」とよんでいる。

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写真:奈良県天理市の長岳寺にて

蔦紋を使用した戦国武将家
椎名氏 東郷氏 松永氏

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どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、 どのような意味が隠されているのでしょうか。
家紋の由来にリンク 家紋の由来にリンク


戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。 その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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家紋イメージ

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幕末志士の家紋
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