杉 紋
古来、神の依代として神社に植えられ、
三輪の神を祖神とする大神一族が用いる。
一本杉 三本杉 細輪に三つ鱗杉 丸の内に一本杉

 杉は日本特産の常緑高木で、その大きく真っ直ぐに伸びたスガタは清清しく、神寂びた感じを与える。むかし、杉の木は神を請来するための依代として用いられたことから、神社の境内に多い。『万葉集』にも「神南備の 神依板に する杉の 念いも過ぎず 恋のしげきに」という、神の森の、神の宿る板にする杉のように、わたしは、しきりにあなたを恋している・・・。という歌が収められている。

本殿 神紋
写真:大神神社の本殿(左)と神紋「三本杉」

 三輪山をご神体とする大和の三輪神社の杉は、『日本書記』や『万葉集』に神杉として記されており、 「わがいほは 三輪の山もと 恋しくば とぶらい来ませ 杉たてる門」という歌が『古今集』にのっている。三輪神社は大神(オオミワ)神社ともいい酒の神様として親しまれ、「三本杉」が神紋である。神酒(ミワ)神社から求めた杉葉で作った鞠状の飾り(杉玉・酒林)が、むかしから酒屋の看板となっている。緑の杉玉が飾られると新酒の季節で、徐々に茶色くなるにつれてお酒も熟成していくのである。三輪神社の神職は大神氏で、三輪の神を祖神とし「三本杉」を家紋としている。近江国の建部神社の神紋も三本杉紋だが、これは、神社が創建されたときに植えた三本の杉が一夜に成長した伝説にもとづいていたものだという。
 杉紋を用いる代表家は、大和の大神神社関係の家である。大神は大三輪とも書き、オオカミ・オオガとも呼称する。宗家はその祖神から出た大神氏で、その後裔に豊後の大族緒方氏がある。祖大太(惟基)は高知尾明神の神子とも、祖母嶽大明神の神子ともいわれるが、宇佐八幡宮の大宮司であった大神氏の一族のようだ。
紋  源平時代、緒方三郎惟栄(惟義)は平氏に属したことから常陸に配流され、のち赦されて佐伯庄に住し、その子孫が佐伯氏を名乗ったとされている。惟基には五人の男子(九人とするものもある)があり、長男が高千穂太郎政次、次男が阿南次郎惟季、三男が植田七郎、四男が大野八郎政基、五男が臼杵九郎惟盛で、それぞれ豊後を中心にして豊前・肥前・日向に子孫が繁衍していった。一族は「三つ鱗」「三つ巴」を用いるが、「三つ鱗」は「三本杉」が変形したものと考えられる。幕末の蘭学医緒方洪庵も遠い後裔で、杉紋を用いている。一見「三つ鱗」にみえるが、杉紋がデフォルメされたものである。
 その他、緒方氏流の旗本藤林氏、穂積氏流の鈴木氏、清和源氏流の新見・上林・小島の諸氏、藤原氏流の本多・有馬・岩瀬・杉浦・戸川の諸氏が杉紋を用いた。さらに、大神神社が酒の神様であったことから、酒造、酒の販売に関係した家でもこの紋を用いているようだ。
………
写真:丹波篠山の小林寺で見た緒形家の三つ鱗紋

杉紋を使用した戦国武将家
阿南氏

・リンク先のページからこのページに戻るとき をクリックしてください。




どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、 どのような意味が隠されているのでしょうか。
家紋の由来にリンク 家紋の由来にリンク


戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。 その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
由来ロゴ
家紋イメージ

2010年の大河ドラマは「龍馬伝」である。龍馬をはじめとした幕末の志士たちの家紋と逸話を探る…。
幕末志士の家紋
龍馬の紋
これでドラマをもっと楽しめる…ゼヨ!
くまさん屋
・KAMON Data Shop
www.harimaya.com