桜 紋
日本を代表する花で、神紋として多くの神社に用いられる。
武家では細川氏の桜紋が著名。
山桜 かげ桜 山桜 浮線綾桜

 日本では、花といえば桜といわれるように、春になると桜の花見に繰り出す人が多い。日本人には桜に対する伝統的な情緒があって、それがしみこんでいるようだ。たとえば、大和心、散りゆく花、朝日に匂う山桜、武士道……などの言葉を見たり聞いたりしても桜に対するひとつのイメージが浮かんでくる。古代のひとも花見に応答歌をつくり、舞踊り、楽しんだともいう。この桜を紋にしたのが「桜紋」で、その種類は百種類以上ある。
 また、桜井、桜田、桜木、桜本、桜川…など桜の字のつく名字も多く、若桜、玉桜、八重桜などの名字を合わせると百種ほどあるそうだ。もっとも多い桜井姓で約十一万人。桜田姓で約一万一千人といわれている。「桜」一文字の名字もある。
 ところで、桜は作(サク)に接続語の(ラ)がついたものとも考えられる。この作は佐久とも当てるがせまい小谷とか、狭あいな窪地をいう。そこをならして耕地にしたことから、作、迫、佐久などと書く地名が生じた。のちに桜の佳字をあてることが多かったようで、名字・地名についている桜は植物の桜とは関係のないこともあるようだ。
 桜紋を用いる武家としては細川氏が知られる。細川氏は清和源氏足利氏で、室町幕府の管領を務め、細川勝元は応仁の乱を引き起こした一方の立役者として有名だ。細川氏は足利氏と同じく「二つ引き両」を用いたが、南北朝時代の頼之のころより桜紋を使用したという。武家の中では珍しかったことから、細川管領家の「物好きの御紋」と伝えられている。江戸時代の武家では、肥後細川氏、桜井松平氏、仙石などが用いた。しかし、武士は桜の散り際の潔さを愛でながらも敬遠したようで、武家で「桜紋」を使用する家は多くない。
北野神社 一方、神社の紋としては、京都の北野神社、福岡博多の櫛田神社、能登の気多神社・羽咋神社、摂津の生田神社、陸奥の鹽竃神社などに用いられている。「サクラ」は「木花開耶(コノハナサクヤ)姫」の「サクヤ」が訛ったともいわれ、姫を祀る神社が神紋に用いている。また、明治以後、日本各地に建てられた護国神社の多くが「桜」を神紋としているのは、軍人を武士にたとえたもので、素直に認められない人も多いのではなかろうか。
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写真:京都北野神社にて




どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、 どのような意味が隠されているのでしょうか。
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。 その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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