茗荷紋
茗荷は冥加に通じ、摩陀羅信仰にちなむともいわれる。
この紋を使用する家は摩陀羅信仰となんらかの関係があるようだ。
抱き茗荷 抱き茗荷に一文字 花茗荷(稲垣茗荷) 入違い茗荷

 茗荷は、ショウガ科の植物で、本州以南の日陰などに自生する多年草である。また野菜としても栽培され、その独特な香りと味で好まれ、「谷中の茗荷」などは酒の肴などにもなっている。茗荷はまた、物忘れの妙薬などとされている。この茗荷の花を図案化したものが茗荷紋である。
ミョウガ  釈迦の弟子で物覚えの悪い男がいた。みなから馬鹿にされ、ついには教団から追い出されそうになった。釈迦はそれを止めて、「塵を払い、垢をのぞけ」という一句を与えた。男は、毎日この句を唱えているうちに、他の弟子に先んじて悟りを得ることができた。この弟子が死んだとき、まわりにたくさんの茗荷が生えた。これを見て弟子たちは男の生まれ変わりだと噂し合ったという。
 これから、茗荷は物忘れの妙薬、悟りの妙薬であるということになったと伝える。
 また、茗荷は音が冥加に通じることから、縁起のいい意味にも用いられた。冥加とは、神仏の守護をいい、未来の祝福のこともいう。
 このように茗荷は、音からくるめでたいご利益と、もの忘れの作用があることなどから、やがて煩悩を忘れる意味も含まれるようになった。さらにインドの神で摩陀羅神のシンボルが茗荷だという説もある。摩陀羅神の実態は不明だが、最澄や円仁が唐から帰朝したとき護神として請来した異国の神だという。
 比叡山延暦寺とその末寺で祀る摩陀羅神信仰は、秘密の修法とされ、天台密教から出たものらしい。また、神社や寺でこの神を祀っているところも多い。伯耆の大山寺、出雲の鰐淵寺、出雲大社、日光東照宮などである。そして、茗荷が供えられる。
 日光東照宮の場合、祭礼には御輿を繰り出し、神官などが活躍するが、すべて茗荷紋が付いている。このようなわけで、摩陀羅神の神紋に茗荷が定着し、摩陀羅神を信仰するものたちが、茗荷を家紋として用いるようになった。
 『見聞諸家紋』をみると、二宮氏が茗荷紋を用いている。徳川大名では稲垣氏が茗荷紋であった。その他、源氏系では、小沢・羽田・水谷・永田の諸氏、藤原氏系では中村・大沢・増田・堀・野間・松村の諸氏が用いている。
 尾張国津島には、「四家・七名字・四姓」の土豪よりなる南朝方「十五党」があった。四家の長は大橋氏で、和泉守信重は「津島大納言」と呼ばれ、実は良王親王嫡子であった者が大橋信吉の養子となったと伝えている。戦国初期の当主が重一で、次の重長のときには、尾張国清洲城主織田氏と領地を争っている。この大橋氏は「茗荷に一文字」を家紋としていたことが知られている。
 ところで、茗荷紋は「杏葉」紋や「車前草」紋と間違われることが多い。徳川大名の鍋島氏は杏葉紋であったが、茗荷紋に間違われることが多かった。茗荷は植物だけに、葉脈があり、頭部には花がある。一方、杏葉は馬の飾りからきたもので、当然葉脈はない。一見すれば、非常に似ているが、子細にみればその違いは一目瞭然のものである。
 茗荷紋は大部分が二個抱きあった「抱き茗荷」だが、二個が交差している「違い茗荷」や、三個が放射状に組み合わせられた「三つ茗荷」などさまざまな意匠のものがある。

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写真:スーパーで買った茗荷/ 家紋:抱き杏葉

茗荷紋を使用した戦国武将家
稲垣氏 大橋氏 堀尾氏

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どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、 どのような意味が隠されているのでしょうか。
家紋の由来にリンク 家紋の由来にリンク


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見聞諸家紋

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