祇園守紋
十字架をイメージさせる意匠から
キリシタンとのゆかりを秘めた紋ともいわれる。
祇園守 柳川祇園守 祇園守 扇に祇園守

 祇園守とは、京都東山にある八坂神社が発行する牛頭天王の護符のことである。八坂神社は 全国にある祇園さんの本家で、京に夏を呼ぶ祇園祭で知られた神社である。祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)、奇稲田姫命、八柱の御子神で、のちに牛頭天王も祀られるようになった。牛頭天王とは、インドの祇園精舎の守護神であったと伝えられ、日本では薬師如来の化身とされる。神仏混淆(しんぶつこんこう)から八坂神社の素戔嗚尊と牛頭天王とがゴッチャになって祇園天王と呼ばれ、八坂神社も祇園社と呼ばれるようになった。
八坂  そもそもは豊饒の神であったが、厄除けの神としても崇められるようになった。そして、平安時代のはじめに京で疫病が流行したとき、神泉苑に当時の国の数にちなんで六十六本の鉾を立て、祇園の神(スサノオノミコト)を迎えて災厄が取り除かれるよう祈ったことから祇園祭が始まった。そのような神様のお守りだけに、その呪力は大いに畏れられたことであろう。祇園守紋の由来には、三つの説がある。すなわち祇園社の森の図案化、牛の頭部の図案化、キリスト教の十字架の図案化だが、いずれも決め手を欠いている。いずれにしろ、牛頭天王や八坂神社への信仰から家紋として用いられるようになったことは間違いない。祇園守紋は単に守紋ともいわれ、その図柄はクロスした筒が特徴である。後世筒は巻き物に変わったが、呪府のシンボルであることは変わらない。
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写真:京都八坂神社
 この紋を用いる近世大名で有名なのが、豊後の戦国大名大友氏の一族で柳川藩主立花氏である。祖の立花宗茂は、薩摩島津氏との戦いにおける潔さ、また、朝鮮の役における碧蹄館の戦での大勝利が知られる。本来、立花氏は杏葉紋を用いていたが、関が原の合戦後、封を失った宗茂は、数年の流浪の末に棚倉城主に返り咲くことができた。正月の夜、夢の中に祇園の蘇民将来の守りを捧げた老人があらわれ、この守りをもって本国へ帰り給えといって守りを手渡した。もともと宗茂は本国の柳川祇園社を深く信仰していたことでもあり、祇園天王の夢のお告げかもしれないとありがたくおもっていたところ、将軍家より旧領柳川を返し与えられたのであった。喜んだ宗茂は祇園天王の加護に感謝して祇園守を家紋とするようになったのだという。柳河藩立花氏のものは、とくに「柳河守」とよばれ、中心に二つ巴が入っているのが特徴になっている。

●ヤソ教(キリシタン)との関係は如何

 その他、大名家では備前岡山と因幡鳥取の両池田氏が用いている。池田氏は清和源氏頼光流を称し、本紋には輪蝶を 用い、副紋として守を用いた。松浦静山の著した『甲子夜話』に、ある日、静山が池田家の分家の松平氏に、 池田家の祇園守の由緒を尋ね、ヤソ教関係のものではないのかと聞いた。すると松平氏は由緒のことはよく知らないが、 我が家では天王から貰ったものと言い伝えており、天王は祇園だから祇園守というのだろうが、それは 世に隠れるものであって実は王の上に一点があったのだろうと答えた。つまり、天王ではなく天主であったと。 これから推せば祇園守紋は、ヤソ教の十字架を家紋として意匠化したものということになる。
 立花氏の仕えた大友宗麟はキリシタン大名として知られ、宗茂も少なからず影響を受けたかもしれない。 一方の池田氏はキリシタンとして知られた摂津池田氏の一族といい、摂津池田氏は「花形十字紋」を旗印に用いた ことが知られている。加えて、摂津から出たキリシタン大名中川清秀の子孫で豊後竹田藩に封じられた中川氏は、 抱き柏紋とともに中川車あるいは轡崩しと呼ばれる家紋を用いている。同紋は、別名中川久留守といわれるように 十字架を象ったものであった。同じく、摂津能勢を領した能勢氏の「矢筈十字」紋は「切竹十字」ともいわれ、クルスを 象ったものという。さらに丹波の戦国大名波多野氏は「出轡(丸に出十字)」を用いたが、これも キリシタンとの関係を秘めたものであろうといわれている。

丸に十字 中川車(中川クルス) 矢筈十字 出轡(丸に出十字)

 このようにみてくると、祇園守紋は十字架をうまくカモフラージュして家紋に取り込んだものという説が 信憑性を帯びてくる。しかも、 祇園守紋を用いる大名の場合、戦国時代にキリシタンと関係を持っていた歴史を有しており 、十字架を隠したという説には説得性が高い。 しかし、仮にそうであったとすれば、そのようなまわりくどいことをしなくても、 古来ある十字架紋、轡紋を用いた方がストレートで却って自然な気がする。いずれにしろ、守紋の発祥とキリシタンとの関係とを 無理に結び付けることもないように思われるがいがかだろうか。

守紋を使用した戦国武将家
立花氏

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