楓(紅葉)紋
秋の野山を真紅に染める紅葉、
家紋としては公家今出川氏の代表紋である。
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楓はカエデ科カエデ属の木の総称で、わが国の楓として代表的なものはイロハモミジである。楓はモミジ(紅葉)とも呼ばれるが、紅葉とは紅に染まった種々の木々の葉のことで、特定の植物をさす名ではない。楓は赤や黄に染まり、「万葉集」では「黄葉」をあてている歌が多い。とはいえ、楓の木が紅葉した美しさはひとしおのもので、平安時代には「紅葉の賀」などが催されたりした。紋章でいう「紅葉」は、ズバリ「楓の葉」を指している。
楓の紅葉は古来より人々に賞でられ、楓の葉を文様にして、衣服の装飾に用いられたことが『枕草子』『栄華物語』などから知られる。『大要抄」』の車文の条には、俊成卿「?冠(カエデ)円」とある。また『太平記』には、粟飯原弾正左衛門が?冠木を描いた直垂を着用していたことが記されている。?冠とはトサカであり、赤く染まった楓の葉がトサカに似ていることからきたものである。また、楓の葉はカエルの手の形をしていることから「カエルデ」それが訛って「カエデ」と呼ばれるようになったともいわれる。いずれにしても楓紋は、カエデの文様が家紋に転じたものである。
楓紋で有名なのは、藤原北家閑院流の今出川氏である。今出川氏は右大臣西園寺兼季が、京の今出川に邸を構えたことから家号となったもので、今出川氏の家紋は「丸に三つ楓」とよばれ、三つの楓の葉が葉先を中心に向けたものである。風雅を愛する公家においては多用されるように思われるが、唯一、今出川氏だけが用いている。
戦国武将では、伊予の西園寺氏を支えた穂積氏流の土居氏が「一つ楓紋」、大和武士として勢力のあった古市氏が「楓に菊紋」を用いた。その他、清和源氏義光流の市川氏、桓武平氏良文流の高山氏、日下部氏流の八木氏などが楓紋を用いているが、他の紋と比較するとその普及度は相当に低いようである。
紅葉したのち散っていく様子は美しいものの、縁起をかつぐうえからは敬遠された結果かも知れない。
神社の紋では、静岡県浜松市の秋葉神社、奈良県三郷町の龍田大社などの楓紋が知られる。秋葉神社は山自体が神体で、秋の紅葉の美しさは格別のもので、神紋の「七葉紅葉」はそこから生まれたものという。一方の龍田大社は古来紅葉の名所として知られたところで、伝によれば「あるとき、五穀凶作数年におよび、心を痛めたときの帝は、竜田川に禊をされ一心に祈願をされた。すると、夢枕に竜田神があらわれた。慶んだ帝は竜田川を流れる八葉の紅葉を捧げ、神は帝の願いを聞き届けられた」これにより神社が建立され、楓が神紋になったのだという。両社に関わる社家や氏子が、家の紋として楓を用いている例も少なくないようだ。
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写真:奈良竜田神社の神紋と紅葉
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どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、
どのような意味が隠されているのでしょうか。
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