高槻の戦国を訪ねる

・2007年4月28日/5月3日



高槻城は南北朝時代に入江春則が築き、以後、入江氏代々が居城した。城址の一画には、入江氏にも関わりに深かった野見神社が鎮座している。入江氏は織田信長に抵抗して没落、そのあとの高槻城には和田惟政、ついで高山右近が城主となった。江戸時代になると目まぐるしく藩主が変わったが、最終的に永井氏三万六千石の城下町として明治維新を迎えた。




高槻城址は公園として整備され、高山右近の像が遠くをみつめている。また、高槻の北方摂津峡には、戦国期の畿内に覇を唱えた細川氏、三好氏らが居城した芥川山城がある。高槻市内を歩くと、三好長興、入江春正、和田惟政らの墓碑(供養塔)が散在、また、芥川氏が居城とした芥川城址もある。高槻の町は、戦国の香りが充満したところといえそうだ。