戦国城跡を歩く

・2008年5月1日


雲出川方面より木造集落を見る

木造城



木造城は、貞治五年(1366)に伊勢国司北畠顕能の次男顕俊が築いた平城で、顕俊は木造氏を称して一志郡を支配した。現在の城址は、享禄元年(1528)に木造俊茂が築いたもので、古城は南方300m,のところにあったという。城址周辺は圃場整備によってだだっ広い田んぼが広がるばかりだが、かつては沼などの低湿地に囲まれた要害の地であった。






城址は田圃の真ん中にポツンと残された小さな丘の上に城址碑と案内板があるばかりの寂しさだ。とはいえ城址南方の木造集落はかつての城下町といい、木造神社や引接寺など木造氏ゆかりの社寺がある。また、集落南方の雲出川堤防は土塁の跡といい、なかなか立派なものである。城郭遺構こそ残っていないが、木造地区を歩くとかつての面影を探ることができる。また引接寺境内には、木造氏の家紋「割菱」を見ることができる。